私はいわゆるC型肝炎患者です。かれこれ闘病歴15年以上になります。
感染の経緯や、経過などは省略しますがわたしが体験した最新の治療方法をお知らせします。 まずウイルスのタイプですが、HCVジェノタイプI型高ウイルスタイプといわれるものです。 つまり現在標準とされている、ペグインターフェロン、リバベリン併用療法では あまり効果がないとされているタイプです。 そこでまず大学病院でIL28B検査といわれる、インターフェロンの効果予測するのに有効な 人間の側の遺伝子検査をしたところ、結果はマイナーアリル(効きにくいタイプ)でした。 そうなるとペグリバのみで一年間治療しても、治癒効果はかなりあやしい。 もっともペグリバで完治しなくても、肝硬変やがんにならなければよしとする考え方も ありますが、できるなら一回で完治したい。 これが可能なのは、現在のところ新薬テラプレピル(テラビック)レバベリン、 ペグインターフェロン 三剤併用療法にかけるしかないようです。そう信じた私はひたすら新薬の認可を待ちました 2011年に認可、12月には国からの補助も出ることが決定。 これは新薬ですし、副作用もよくわかっていない。当然皮膚科などと連繋できる大学病院 や総合病院しか対応ができません。というわけでともかく行きつけの病院から 大学病院へ2週間の強制入院のてはずを。 三剤併用の場合、テラピック、レベトール、週一回のペグイントロン皮下注射をおこなう わけですが、私の場合ウイルス量が7Logという高いウイルス数値にいきなり抗ガン剤のような インターフェロンや抗ウイルス薬を投与したわけですから、猛烈な薬剤とウイルスの戦いが 開始されたわけです。 なにしろこれがまず猛烈だったのです。これで入院が必要な理由がわかりました インターフェロンによる悪寒、脱水症状、不眠、テラビックによる食欲不振、尿酸値の上昇 レベトールからくる貧血症状。血圧低下 というわけで入院2日目にして、いきなり担架搬送、気絶で丸一日点滴生活、という を受けてしまいました。 しかし、なぜかインターフェロン特有の高熱やテラビック特有のかゆみ皮膚症状などは まったく症状がなく、当然ステロイドのお世話にもならず。 これは入院前に鍛えていたおかげなんでしょうか?眼底検査もすんなり、OK しかし病院生活の強烈なストレスや一部患者との人間関係の悪化から精神カウンセラーからの 処方薬のおせわに。これは精神科の処方で一日で解消しました。さすがは大学病院の総合力 このテラビックの効き目いかにすごいかというと10 ccウイルス量1000万いたウイルスが一度に 100匹まで激減してしまうものすごさではあります。 しかし猛烈な貧血、食欲不振、突然の気分のわるさ、いやこの治療入院なしで 通院なんぞしたら大変な社会問題や訴訟になるでしょう。 ではこれらの副作用を最小にするにはどうすればいいのでしょう? まずインターフェロンの副作用、悪寒、発熱、脱水症状こればかりは 避けることはできないみたいです。 いやだんだん体が慣れまで待つそれしかないようです。 問題はレベトールとテラピックですが、貧血の症状がでた場合、まずレベトールを 減量するようです。 どうやら日本では貧血解消の薬などというものはなく投与減量するか投与中止になるようです。 薬によっておこる不溶性貧血なのでどうにもならんとのこと そしてテラビックですが、これは私は次のようにしてみました。 日本食とはあまり食べあわせがよくないので、カレー、シチュー、など味の濃い脂肪分の 西洋食を用意して、服用後大量の水分、アセロラ、ポカリスエット、ビタミンを 同時にとりました。しかしそれでもUAといわれる尿酸値の蓄積はものすごく 平常なら4.0くらいの数値がたちまち7.0まではねあがってしまったのです。 こうなればひたすら水や補給水を飲む、ビタミン水、紅茶を飲む。 まあかろうじてこれで点滴回避。 しかしこんどは中性脂肪値が1000まで上昇、これはやはり運動や食事制限 しかし運動すればあのおそろしい貧血にいきなり襲われる。 そこで貧血にならにように、葉酸とビタミン12を補給しつつ、ブドウ糖を常備。 注意しないといけないのが、腎機能障害。 ともかく水分をとることです。 いやいろいろ体調やノートを見ながらじっくり対応するこれがいいようです。 まずあきらめないこと。がんばれるところまではやってみる。そういうスタンス にしました。 食欲不振解消にプリンペランとかタリンとかいう薬もありますが、基本はあのテラピックの苦さ をいかに消してしまうかのほうがいいような気がします。 私も体重が66キロくらいな のにアメリカ人と同じ一回3錠服用というのは、あまりに強烈で一回2錠にしてもらいました。 ともかく仕事をしながらこの治療を続けるなんてのはあまりにに、無謀で自殺行為に等しい。 まずは体を休めながら、治療をすることです。 で肝心の治療効果はどうなったのでしょう? それは過去のくわしい数分析値を含めて次回 また 30年前以上に放映された、田宮版 白い巨塔をひさしぶりに、見た。
まったく名作である。ドラマとしても面白いが別の観点からみるともっと面白い。 昔は気がつかなかったが、あらためて見るとこの物語の着眼点のすごさがわかる。 まずこの物語の主人公 財前五郎は、恩師である東教授から、その恩師をもしのぐ卓越した技量と名声ゆえに 疎まれてしまう。 しかも恩師はことごとく既存の秩序を乱す財前を主任教授にさせまいとあれこれ 画策するわけだが、 ここで浮き彫りになったのは、大学病院の医局の問題だ。 ここは組織が縦割りになっており、主任教授を頂点にピラミッド型の 組織構成になっている。 「教授になってこそ助教授だ。助教授なんてしょせん足軽大将にしかすぎない。」 財前はなぜ教授になることにこだわったか? 医局員はなぜ教授にヘイコラするのか? 医学部の教授というのは、その社会的地位もさることながら医局員の人事権や予算配分権までも にぎっている。しかもトップである教授は講座につき一人だから、その権力は絶大だ。 そこが文系の教授とはちがう、医学部のしくみだ。 東が財前の教授就任を阻止したかったのは、医師としての技量、実績よりも 人格的な問題、自分を出し抜いてまで有名になり、しかも不遜で自信家な財前は 国立大学の医学部教授にふさわしくないと判断したからだったが、 ここで見えてくるのは、東と財前の育ちの違いだ。 東は祖父の代から国立大学医学部教授という名門家系、しかも本人は東都大学教授、 しかし財前は岡山の田舎の出で、母子家庭。今でも仕送りをしながら、産婦人科 財前又七に養子に入ったといういわば成りあがり。 そんな東と財前がそりがあうはずもない。 財前は「なにがなんでも教授になってやる。そのためには殺人だってする」 というようなくだりがある。 このドラマを見ていると「石にかじりついてでもがんばりたい。」 そのようなことを言った総理大臣を思い出してしまった。 彼は官僚が嫌いで、官僚をことごとく排除して、政治主導をとなえた。 「官僚なんてバカばかりですよ」とまで公然と言ってのけたこともある。 もちろん彼は官僚出ではない。 学生運動から市民運動を経て政治家転進をした成り上がり政治家だ。 いったいどんな市民運動をしたのかは非常に疑問だが、社会民主連合、さきがけ をへて民主党代表、厚生大臣、財務大臣、副総理をへて内閣総理大臣までのぼり つめた、まさしく現代の財前五郎である。 彼の政権担当時代は、官邸主導というもとにいろいろ政策がおこなわれたが したが、かなり空まわりしていた記憶しかない。 ともかく言い訳がましいのである。都合の悪いことは、官僚のせい、手柄が自分のもの。 あるいは過剰な政治介入とまでいわれたこともあった。 この政治家は、どうやら単なる官僚コンプレックスの持ち主で国民のためになにかするというより、 単に総理大臣になりたかった、自己顕示意欲のかたまりだけではないのか? 最近そんな気がしてしかたがない。 白い巨塔における権力への野望と執着の世界は、30年たった今でも現実に存在するのかと 思うと、いつの世にも権力闘争、確執はどこの世界にも存在するものだいうことだけはつくづくわかる。 菅直人内閣総理大臣をサラリーマン的に人事評価査定したら、どうなるだろうか?
総理大臣の仕事はサラリーマンとは違う。しかし政府内閣という組織内で どう判断しどう行動すべきかという点では同じであろう。 では今回まず首相の優先すべきことは何だったのか。 それはまず、3月11日の東日本大震災による甚大な被害からの復興をすみやかにおこない、 原子炉事故を収束しそれよって生じた被災者や避難民を救済し、国民の安全につくすべく 首相としてのリーダーシップを発揮することである。 しかるにその進捗状況は進んでいただろうか? この答えにイエスと答えているのは総理自身だけだろう。 それこそ未曾有の原子炉事故であったために、政府も東電もパニックになったことは 事実だ。政府ならびに東電が一体で原子炉の冷却、冷温停止を目指したことは評価できる。 しかし、阪神大震災に比較しても、初動が遅い、瓦礫撤去がすすんでいないという声は多い。 しかも避難区域の設定や避難地域指定をめぐる対応の遅さは各方面で 批判をあびている。やたら会議ばかりたちあげたにもかかわらず、義援金の配分 は遅れ、仮設住宅は未完成では、政府の災害対策は不十分だといわれても 反論はできまい。 「やるべきことはやっている。国民に理解してもらえていない」 このコメントに私は、強い不快感を覚えた。 政治家は発言も重要だが、それにともなう行動と成果も重要だ。 まして今回のような震災では迅速な復興が望まれる。 私の印象は、どうも復興スピードもあることながら、自治体との連携が うまくとれていないのではないかという感がある。 もしちがうというなら、マスコミを利用して積極報道機関を通じアピールすべきだ。 しかし記者会見すらひらかないのに、国民が理解しないなどと言うのは はなはだ筋違いだ。 国民が理解していないというなら、もっと国民にアピールするために、 メッセージを発表うべきだ。しかるに菅氏のスタンスはどうだったか? 自分に都合のよいマスコミは歓迎するが、つまり自分に物申すようなマスコミは 排除しているとしか思えないスタンスがまるみえだ。 この点私がもっとも気になったのは、「脱原発宣言」の発表の方法である。 このような重要なビジョンを、諮問委員会や閣内の合議もなしに、個人の思い だけで、なぜいきなり記者会見をしたのか? 国民のみなさまに重要なおしらせがありますというから、何かと思えば これだ。このような宣言は国連総会か国際会議などで発表すべきもので わざわざ記者会見をすべきものではない。 これでは組織やTPOを全く無視した個人独裁宣言である。 いや単なるスタンドプレーである。 たしかに理念としては悪くない。しかしそれにより どういう具体的なプランを実行して、国の原子力政策を転換していくか 言う点までふみこまないと単なる自己宣伝でしかなくなってしまう。 リーダーというものはそのような点をすべて総合的に考察、判断、発表しなければ いけなかった。 彼のメッセージを発信して公衆へのアピールする能力は高くその方向性は正しいが、 その過程において十分議論がなされておらず、決定は独断的であり、実現可能性に疑問が残る 点が多い。 そういう意味では彼は国のリーダーの資格などまったくない。 さて私の評価である。 総理大臣としての評価) E 彼は民主党きっての論客である。しかしなぜそれがこのような評価になってしまうのか? それは与党の政治家としての業績評価だからだ。有言不実行ではだめなのだ。 ではもうすこし具体的にみていくことにしよう。 政策実行力: 東日本震災から5ヶ月後特例公債法案が可決。これでやっと瓦礫の撤去が公費 で可能なわけだ。なぜこれほど時間がかかるのか。 復興は果たして本人が言うように進んでいるのか? 関東大震災のとき、山本権兵衛内閣は震災手形、モラトリアムを発令したが、今回はそのような 特別救済措置すらとられていない。 政治主導をとなえるあまり、官僚や自治体軽視しすぎではなかったか? 危機管理対応能力: 東電の事故が発生したとき、みずから東電本社に掛け合い、東電に事故対応をうながした ことは評価できる。 しかしその後は、総理の存在感すらアピールできず、リーダーシップが疑問視された。 事故後の会見は、ほとんど官房長官の発表のみで、総理のコメントすら聞こえず、 その存在意義やリーダーシップ不在論まで取りざたされた。 尖閣列島問題では中国からの圧力に屈したかたちで、領海侵犯をおこない海上保安庁の 巡視船に体当たりした上船長を釈放させている。 しかもこれを沖縄地検の判断として政府の責任を回避している。 外交問題になることを避けたつもりであろうが、ここは日本政府は毅然とすべきだったのだ。 クサイものにはふたをの精神以外のなにものでもない。 外交力: これはまったく成果がないにひとしい。すべてにおいて「遺憾の意」の連発である。 具体的外交折衝、会談もなかった上、廊下でミーティングなんてこともあった。 これでは中国やロシアになめられてしまっても仕方がない。 APECでの温家宝首相との10分廊下会談だのアメリカバイデン副大統領との 40分ミーティングなどお話にならない。 日米交渉も進展はなく、沖縄基地移転問題も凍結のままである。きわめつけは中国の 首脳とメモをみながらの会談。いやはやみっともない。 情報発信力: 総理は日々のぶらさがり会見を拒否している。しかし一部週刊誌の独占インタビュー には応じている。これでは自分の都合のわるいマスコミは排除し、自分にとって都合のよい マスコミだけに取材をさせているととられる。非常に閉鎖的だ。 国民に脱原発宣言をおこなったが、あれはどういう意義があったのか。 具体性な内容にとぼしくどこに記者会見する必要性があったのか、しかも自分の内閣でも 内容を知らない人たちが続出とは・・・・。 調整力: 浜岡原発の停止要請発表は英断とも思えたが しかしこれは経済産業大臣の仕事を横取りしたようなものだ。 浜岡の現地視察は、経済産業大臣がおこなって、一時停止の決定をしようと したものを総理大臣がアナウンスしただけだ。 これが経済産業大臣の仕事か総理大臣の仕事かその点は議論のあるところだが、 その後現地従業員の雇用問題、代替エネルギーの確保の問題まで考慮されているとはいいがたい。 周辺自治体との調整すらなかった状態では思いつきといわれても仕方がない。 つまり意思決定プロセスがまるっきりめちゃくちゃなのだ。 こういう点はサラリーマン社会ではまるで評価されない。 仕事はチームでおこなうために、根回しといわないまでもマネージメント能力 に疑問を感じざるを得ない。 私は菅直人という政治家は、自己顕示意欲の非常に強い人物だとおもっている。 いや名誉欲の異常なまでに強い人物である。二世でもないし、官僚出身でもない そのコンプレックスのようなものをバネにして頂点をめざしたのだ。 こんな人物はいまだかつていない。 だからこそ、市民運動家から民主党代表、総理大臣にまでなれたと思っている。 その反面官僚や、サラリーマン経験がないために、独断専行型の政治をおこなう 面がある。こういう人間が政党の代表になれてしまうというのも不思議な世界だ。 日本的な意思決定過程や慣習を無視し、リーダーシップの意味をはきちがえている 総理大臣でしかない。 彼は総理大臣の地位にまちがいなくこだわっていた。 在任中はなんとしても歴史に残るような成果はなくとも、すぐにやめるような 二世総理たちのようではありたくはない。だからこそ異常なまでにその地位に執着した。 しかし沖縄の基地移転、北方領土問題など自分の専門外の問題にはほとんど関心がない。 TTP加盟が日本の農業にどういう影響を与えるなど考えずに自由貿易の 流れだと思っている、これからの産業は、林業、医療介護産業で一に雇用 二に雇用などとハローワークを視察していたこともあった。ハローワークの視察 で景気が回復するのか? 自民党時代にあった経済財政諮問会議のような会議などどこへやら、イギリス のまねをした国家戦略局など休眠状態であった。 にもかかわらず、国民は理解していないなどと、政府の無策を国民の せいにしている。尖閣問題のときもそうだが、政府の判断を沖縄地検の判断 だと人事のようにしている。具合の悪いことはすべて人のせいにしているのだ。 こういう人間に任期満了まで内閣を運営された国民はたまったものではない。 彼の政治手法で私がもっとも驚いたのは、内閣不信任案を出されそうになった時の 対応である。 総理大臣にとってもっとも、いやなものは、国会質問での追求ではない。 内閣不信任案の可決という事態だ。 野党の内閣不信任案に、民主党内でも同調の動きがあった。 そこで彼は、 「一定のめどがついた時点で、若い世代に道を譲る」と宣言 したのだ。これは内閣退陣ということではなく、単なる言葉のあや、 その場しのぎのいいのがれであったことは、2ヶ月近くも総理の座に執着したこと からも明らかだ。 ここで菅直人という人物は目的のためにはいかなる姑息な策でも使う マキャベリストであるということが国民の前にさらされたのである。 彼が総理の座にこだわったのには、理由がある。 それは在職中に、さしたる実績がまったくなかったからだ。 東電へ乗り込み原発を停止させた、復興予算を成立させたくらいでは 歴史にのこる総理にはなれない。 しかし国民をだまそうとしても、アメリカはそうはいかなかった。 すでに退陣宣言を出した総理大臣、しかも沖縄基地問題に具体的解決を 見いださない人間に、アメリカ大統領は会談要請「ノー」をつきつけたのだ。 おそらくこれが辞任の決定打だろう。 なぜなら直前まで訪米を模索していたらしいから。 最近わかった話だが、震災の後に、菅首相は会議をいくつもたちあげている。 ところが、そのうち10の会議で議事録がまったく作成されていないのだという。 これは、事故発生の問題処理の過程を検証していくうえで需要な資料であるはずだ。 今後のためにも、記録をとっておくべきだったにもかかわらず、 震災後、一年後にこのような事実が判明するとは驚きだ。 サラリーマンの社会なら、会議をしておいて会議録を配布しないなど考えられない。 こうしてみると、彼の総合評価はやはり E (努力不足、最低評価)でしかないのだ。 私の評価基準はあくまでも、サラリーマン的人事評価である。 サラリーマンは目標と実績で評価される人事評価というものがあるわけだが、 その基準からしても、どうしても本人がいくらどう「やるべきことはやった」 といってもこのくらいの評価しかしないのは私だけだろうか? 年金とは、そもそも国民が老後の生活のために、加入期間と 掛け金の支払額に応じて、国から一定金額支給される給付金システムである。 したがって、この制度は、掛け金を払ったひとには給付されるが 払わない人には支給されない。この点は誰も異論のはさみようがないだろう。 ところが最近、つぎのような点が問題になっている。 1 1997年の基礎年金番号の統合の際、社会保険庁のコンピュター上で氏名の確認 がとれず宙に浮いている。 2 加入者側が支払い記録があるが、社会保険庁にはコンピュター記録のないとされ 社会保険庁の窓口で訂正申請が 却下されたものがある。 3 昭和54年以前に年金加入していたが、社会保険庁のデータベースにも マイクロフイルムにも記録がなく 自治体の記録もないため 未加入扱いになって いるもの これらをよく見てみよう。 たとえば、1のケースは顧客登録の問題であるから、年金番号に対して、誤った氏名、 加入期間の登録がなされていることから発生する問題である。 これにより一人の年金番号に複数の氏名が登録されたりすることが出てきたりする。 そうするとコンピュター上未加入期間が発生したりする。これは現在その問い合わせが 一番多い例だ。転職などくりかえすとこのような事例が発生する可能性がある。 これはあくまで社会保険庁の内部での手続きの問題であり、システムに入力済みの データである。これはコンピュターの照合プログラムを開発すればかなりの部分 は解決できる話だ。これがいわゆる宙に浮いた年金だ。 2は加入者側では支払いがなされていることになっているが、社会保険庁には 記録がないというもので、これが実はさまざまなケースがありやっかいなのだ。 たとえば国民年金の掛け金の支払いを市町村役場でおこない、その連絡が社会 保険庁になされていない場合。台帳に記録があるが保険庁に連絡未達。 あるいは窓口担当者の事務のミス、(一括納付の場合などにおこりやすい。) もしくは横領、着服。 または事業者が実際には掛け金を納付していなかったが、給料から天引き されていた場合もそうだ。これは事業者の問題になる。 あるいは加入者本人の思い違いという場合もそうだ。 これらがいわゆる消えた年金問題となり、これが一番やっかいなのだ。 なぜなら証明のしようがないからだ。 3は加入者が、死亡したりしたり、国民年金が加入者に対して未払いのままデータが 台帳にのこったままであったり、マイクロ。フィルムーに未転記なものだ。 (当面はこれはデータが古いリためにあまり問題ないとされるが 自治体の台帳も 破棄されたものもあるため 確認が困難。) これらの不明データの不明点をすべて、解消するには、数年が必要であろう。 なぜなら、1のコンピューター内における、突合だけでも、開発プログラムと運用さらには その不明事項の整理、加入者への照会と確認作業だけでも1年以上かかるからだ。 加入者自体が最終的に了解しなければ作業は終了したことにはならない。 これらは保険庁側に記録があるばあいでありデータ記録がない場合は かなりやっかいだ。加入者が客観的に支払いを証明しなければいけない。 そうでないと詐欺行為も容認してしまう危険がある。 この対応は第三者機関を設置して対応にあたるというが実効性がかなり疑問である。 というのもたとえば厚生年金にしろ国民年金にしろ、事業者が加入者に代行して 掛け金を払う場合、原則天引きがおこなわれるが、天引きだけおこなわれて実際の 支払いがされなかった場合どうするのか?加入者の給与明細は何の意味もなさない。 実際はこのようなケースは多いのではないか? ではなぜこのような事態がおこったのか? それを議論すれば、まず厚生年金、国民年金共済年金というシステムで別々の 番号体系をしておいて基礎年金番号で1本化する際に、事務上の手続きが統一 されていなかった。 国民年金の受付窓口が、地方自治体、社会保険事務所、金融機関とバラバラで あったために管理が一元化していなかった。 社会保険庁内の管理、自治体との連携など運営体制がずさんで、チェック体制が 整備されてなかったなどいろいろ原因は考えられる。 が最近これは社会保険庁という1組織の問題でもあるにもかかわらず内閣総理大臣, や厚生労働大臣、自民党の代議士まで事詳細を答弁しているのもおかしな話である。 社会保険庁内の問題としては 1.基本作業チェック機能の不在(作業をアルバイトパートのやらせていた。) 2.組織としての管理体制の無能さ (労働組合との馴れ合い体制) 3.天下りトップによる経営責任の不明確さ これらは資金の調達管理面での問題というより、組織運営、基本業務管理の問題だ。 運用に関しても、グリーンピアに見られる、経営の失敗、廉価な払い下げなど不透明 さが残る、組織体制がある。 そうなると、これは組織全体の問題であって、トップから職員にいたるまでの組織改革を 進める必要がある。 つまり報道されている事実だけから、推測しても、 社会保険庁は、組織としての機能をなしていないどころか、国民の年金掛け金を不正利 用しているのかという疑念すら浮かんでくる。 なぜなら、きちんと運用管理されていれば、とうの昔にこのような問題は解決されていた はずであり、現在のような、社会問題には到底なりえないかった次元だからである。 つまり一組織の問題が、内閣をゆるがす問題になってることが、問題なのだ。 ではなぜこの1組織の改革の問題が、政府とりわけ内閣総理大臣が、クチをはさむ話に なっているのか?この問題が、なぜ発覚したかというと、内部告発があったかからでは ない。いうまでもなく民主党の長妻議員の調査、国会質問に端を発している。 もし議員がこの問題を追求しなければ、実態が解明されないままであろう。 私は自民党だけが悪いといっているのではない。 社会保険庁は政府の統括する省庁であり、独立行政法人でも特殊法人でもない。 社会保険庁の失態は、政府の監督責任、厚生労働大臣の責任でもある。 だからといって、実際の問題解決にあたるのは社会保険庁職員だ。 政府ではないのだ。 この問題を一年以内に解決しますなどと、実現不可能な公約を言ってほしくないのだ。 これらの問題は、この種の事務処理を体験した人なら、絶対に不可能なことはわかる。 データの突合作業は、不明なものは何年かけようと不明なままなのだ。 それが120万件もあるものが一年で全部完了するわけなどありえない。 それを現場でもない政府が公約することなどもってのほかだといいたいのだ。 だからこそ、政府与党は、この問題の解決にやっきになっているが組織解体をいそがず まずはこの実態を解明して、その上で責任問題を明確にして利用者の保護のためにつく すべきだ。
とんでもない事件が起こったものだ。
休日の秋葉原で3人の歩行者をトラックではね、4人をナイフで刺殺、10人が怪我。 しかもi犯人は薬物中毒者でもなければ、犯罪歴のある人物でもない。 普通の企業の派遣社員だという。 犯行の動機はまだすべて解明されてはいない。 しかし背景にはいろいろな家庭環境の問題や労働実態をめぐる社会状況が関係している ことは確かだ。 報道されている犯人像をまとめると以下のようだ。 ・小中学校時代は成績はよくスポーツも積極的に参加。 ・高校では進学校に進んだが、成績は下がってしまったために 4年生大学には進学せずに、短期大学で自動車整備士をめざす。 単位不足で、資格がとれず。 卒業後はも転職を繰り返しながら、正社員にはならず、最近では派遣労働に従事とある。 ・ ・性格的には、内向型で熱中しやすいが、癇癪をおこしやすい短気な性格であった ・人となにかをするよりも、コンピュターゲームやコレクションをして楽しむ いわゆる「オタク」タイプで職場でも人間関係は希薄であった。 社会心理学者は、家庭内の環境のゆがみとエリートへの挫折が、コンピューター やゲームなどのバーチャル世界にのめりこみ、携帯のカキコミなどで自己主張を しながら、自分の不満をゲーム感覚で現実の世界で無差別殺人で解消させようとした 推理している。 あるジャーナリストは、派遣労働法の緩和によって、派遣労働に門戸が 開放されたものの、正社員との格差や不安定な雇用形態や仕事の 実態が労働者の満足を得ていない、不公平感が、格差社会への 不満を爆発させ、無差別殺人につながっているのだという。 今回の事件は、個人の家庭環境の問題だけでなく、偏差値偏重教育の問題 職場環境ひいては派遣労働までにおよぶ労働問題とも無縁でない大きな社会問題に 広がるのではないかと思われる。 この事件を落ちかぼれエリートの身勝手な無差別人殺人で片付けるのは 問題だ。 ここで見逃せない点をなぜかマスコミは報道していない。 それは、犯人の携帯のカキコミに、「ワイドショー独占」とある点だ。 この点を意識的に報道を避けているふしがある。 つまりこれだけの凶行をおこせば、マスコミやネット社会で大騒ぎとなるのを 想定して、それを意識した、行為である点だ。 それが証拠に携帯に自分の行動をこまかく、カキコミをしているからだ。 この容疑者は、自己意識が過剰である点はまちがいない。、 こういう事件がおきると、政府は官房長官談話で「ナイフの規制をするべきだ」などと ナンセンスな議論が出るが、問題の核心はそういうことではない。 日本という社会は、ある一定のレールに乗ることを目標に 学業や就職をめざすが、それがかならずしも思うようにように いかなかった場合の、リカバリーの策があまりない。 イギリスのBBCは 「今回の事件は日本社会の持つ構造的な一面を浮き彫りにした 一種の社会問題かもしれないといいつつ、日本のマスコミは なぜこういうことがおこったか、あまり触れようとしない」 加害者は、「自分は負け組、」だと主張している。これは自分の現在の 境遇を他人や社会のせいにすることで正当化する回避、いいのがれだ。 学校において成績上位者が勝ち組、社会においては正社員が勝ち組 非正規雇用者は負け組、人生においては恋人のいる人間を勝ち組み、 いや幸福なそうな人を勝ち組だと言っている。 しかしこれは個人の思い込みであり、身勝手な屁理屈だ。 これがあのような計画的凶行を容認する説明には到底なりえない。 一方この手の話題をしつこく、どこでだれが、どうして、どうなるみたいな 単純な5W1H式の報道をしているばかりか、 被害者の家族や加害者の家族に根ほりはほり、しつこく食下がる 日本のマスコミとりわけワイドショー などは、なんの事件の根本的な解決もみいださないのに、 興味半分で報道しているのが気になる。 はっきりいおう。 マスコミに秋葉原で事件の惨状を撮影した野次馬を批判 などできないのだ。マスコミもこの次元では野次馬でしかない。 まさに犯行をあおったものはワイドショーそのものではないのか。 昔コンピューターゲームが好きな人間が、殺人事件をおこしたとき ゲーム自体を規制すべきだというような議論があった。 いやそれなら、凶悪犯罪をこと細かに、報道する ワイドショーやワイドショーまがいのニュース番組こそ規制すべきなのだ。 「報道の自由」は絶対に必要であり、報道統制などあってはならないが、 報道をしない自由も大切なのだ。なんの解決にもならない加害者の両親の 謝罪会見や被害者の追跡調査などどこに報道する意味があるのか? 現場を撮影していた野次馬を批判していたが、事実関係のみ 伝えるならばマスコミもある意味野次馬とおなじ次元ではないのか? マスコミにとって自分たちに不都合な事実を報道しないのでなく、 犯罪をあおらない報道というものも必要なのではないだろうか? この手の犯罪の動機など到底、容認できるものではないが、 あるテレビキャスターが「なぜこんなことをおこすのか理解できない」 などと言っていたがキャスターが言うべきでコメントではない。 理解できないのなら、この問題の根底を追及していきます。 それくらいのくらいの気構えは必要ではないか。 それが報道機関に従事する人間の犯罪報道に対する社会的貢献ではないのか? なぜなら類似の無差別殺人事件がおこっているわけだし、 今後もおこらないともかぎらない。 この点をマスコミは自分たちに不利になるために、あえて報道していないのではないか 最近、年金問題がやたらクロ-ズアップされている、
5000万件におよぶ、社会保険庁における記録不整備があきらかになっている。 これは平成8年に年金番号を1本化した際に生じた、宙に浮いたデータだという。 これは単なる手続き上の不備なのか? 事はそう簡単ではないと思われる。 そもそも国民は、厚生年金、国民年金、共済年金のいずれかに20歳をすぎると 加入するのが、普通である。 それぞれ加入要件も違う。 平成8年以前は、この3種類の年金は10桁の異なった番号体系で管理されていた。 実はこの年金に関する手続きそのものが、市町村役場でおこなっていたり、 都道府県の社会保険事務所でおこなっていたりで、ばらばらなのに、 データ管理は社会保険庁であこなっているいう構造になっている。 このあたりからしてややこしい。 この宙に浮いているデータというのはさまざまなケースが想定される。 一番わかりやすいのは、転職によって厚生年金から、国民年金に替えたが その際、届け出の氏名の読みかたが違ってインプットされると、別人扱い になるというもの。 あるいは学校を卒業して、一般の会社に就職した人は、厚生年金に加入することになり 掛け金は会社で給料天引きになるし、手続きもたいがい担当の事務部門でおこなう。 が退職した場合、自分で国民年金に切り替え手続きをおこなわないといけない。 すぐ就職すればさほど問題ないが、そうでないと厚生年金から国民年金切り替え未完の 状態のままなのだ。 つまり切り替え続きを自分で申請しなけばいけないケースなのに放置しているケース。 あるいは事業所から、提出される書類が不備なために、未加入状態ものもあるという。 これもデータ不備で未入力になる。 これらは掛け金は払っても、社会保険庁のデータに記録されていないというケースの ひとつだろう。 あるいは転職をくりかえす、子会社に出向などして、事業者が届け出を失念し扱いが もれていた場合などもありうる。 このようにこの問題の実態が細かく多様であり 実態の解明には、かなりの時間を要するわけだから、 専門の外部プロジェクトチームを立ち上げたくらいでは簡単に問題の解決にならない。 が、この問題解決のためのプロジェクトの立ち上げ。これは正しい対策だ。 しかし、今安部総理大臣のやろうとしていることは、 単に専門家集団を立ち上げ、そこで問題解決を託しすべて問題を1年で解決するのだという。 政府で立ち上げるプロジェクトは、基本的方針や組織つくりを提言するのが仕事であり 実際実務にあたるのは、社会保険庁職員だ。 このような状況では、個別ケースの事実関係把握だけで数年かかるはずだし、 (これについては別途考察) この問題は時間をかかけてまず事実関係を究明し そのうえで組織の整備しなけば、またあらたな問題がおこる。 政府は強行採決で、年金の請求期限の撤廃、社会保険庁の改革法案などを 通過させようとしているが、問題の事実関係が不明なまま 組織を解体してよいのか? 十分な議論がされずに法案の通過だけをいそいでいる感がある。 総理は、この法案を通過させることと問題の解明と解決を1年以内にすると いっているがどうしてこの1年という期限を設定したのか、 事の顛末が、複雑ながらもその結果が国民の生活と密接なだけに、 総理大臣は簡単にこの問題の解決方法を簡単に国民に口約束しないことだ。 そうでないと選挙対策のためのものすぎない、というより われわれがちゃんと年金をもらえないということになりかねないという危険がある。 安部内閣は、格差問題や年金問題にはそれほど関心がなく、教育問題、憲法改正に 熱心だという気がしてならなかった。 そもそも問題の解明に熱心でない証拠に、自分の関心の薄い分野は入念に審議を おこなわず短い期間の審議で強行採決でのぞむという傾向があるし、年金問題にいたって は1年以内の決着などという、事務方の現状と事態を把握していない根拠のない 無責任発言が出るしまつだ。 本来年金問題は時間をかけ徹底調査しながら組織の問題点を出して、組織解体すべき ところをあせって、組織を解体して、短期で強行に解決して政治決着してしまおうという 姿勢が見られることはなんとしても選挙に勝つために、具体策を打ち出したいという総理 自身の個人エゴでしかないと思っている。 いやもっというならば、総理の関心は、実は憲法改正しか頭にない。 これは安部家の悲願いや安部氏の畏敬してやまない祖父岸信介の悲願の実現だけだ。 そのためには参議院でも過半数以上をとることが絶対必要であり、 そのために年金問題で足をすくわれないという思いでいっぱいなのとしか思えない。 ここで1年以内にこの問題を解決すると公約しなければ過半数がとれず参議院選挙に 負けて、悲願の憲法改正ができないというあせりがあるのだ。 憲法論議自体も、集団的自衛権の行使という点だけでなく平和憲法の意義という点でも 論議されなっければいけないのに、改憲まずありきという発想ばかり 先行してるように見える。 安部首相の言う、国民のための政策などではなく 年金問題の解決をとりあえず打ち出し、支持をとりあえずとりつけ、 選挙に勝って、憲法改正をめざすための布石でしかない 付け焼刃的発想でしかないのだ。 最近ホリエモンこと、堀江貴文被告が、ニューヨークタイムスのインタビューに
対して、自分に対して40~50代の中間管理職が自分に不快感をもっているのは 自分の活動が従来の日本の社会の既得権益を犯したからだというようなことを述べている。 私は彼に対して、不快感をもっているが、それは彼のいうようなことに対してではない。 彼にもおおきな功績はある。 ホリエモンの功績をいうならば、既成の概念の打破。 たとえばプロ野球は12球団でなければいけないかどうかとか、TV放送局あるいはラジオ放送局の買収を民間会社はしてはいけないのかなど、日本の企業形態、企業防衛のあり方という問題に対しては、問題提起をしたという功績はある。 しかし、私が気にいらないのは、逮捕前の会見と逮捕後のテレビ出演などの 元フジTVと業務提携話をしていたころは、友好的で一般受けするような態度を して「みなさん賢い株主になりましょう」などと言っていたのに 証券取引法違反で、、逮捕され刑事被告人扱いされるや、 すべて当該事件は側近がやったこと 自分はなにも知らなかったと言っている。 ホリエモンは自分たちは賢いから、株で儲けた。 企業買収で儲けた。しかしそのことは違法ならファアイナンス部門がやったことだから 自分には責任がないだなどといえるだろうか? 裁判の争点にななっているのは、投資組合が ライブドアのトンネル会社になってこれを通じて別会社を買収したかどうかだが、 これはどうみても経営会議での決定事項である。 これが違法かどうかだが、この実態をしらずに承認したなどとは考えられない。 風説の流布に関する詳細は省くが、 事件当時代表取締役社長は、当時堀江貴文であって、側近たちではない。 経営者(代表取締役)というものは、詳細を知ろうと知らまいと、会社がおこなった経済活動に対して株主、利害関係者に対して経営責任、結果責任を負うものである。 だからこそ、関連業者は相手を信頼して取引をおこない、株主は株式に投資しているのである。 したがって、会社が不利益をもたらした場合は、株主、利害関係者に対して 時としてその補償をもしなければいけないのである。 しかし堀江被告はそのようなそぶりさえみせず、裁判でも無実を主張し続けて自分には 責任はないということを強く主張している。 取締役会で承認されるような重要事項の内容を知らないなど言うようでは、 上場会社として(東証マザーズ)経営者を名乗る資格などない。 かつて堀江被告は、「株主のための利益」ということをさかんに、言っていた。 ところが、証券取引法違反で逮捕され刑事被告となるや、単なる自己保身、自己弁護に走っている。 事件によって株価は暴落して、上場廃止になり株主は多大な損害をこうむった。 株主に損害を与えて、株主利益を損ねたのは誰だったのか、彼はその点を どう考えるのか、まったく反省が見られない。 事件の事実関係がどうであろうと、経営者責任を逃れることは出来ないのである。 私はこの裁判は、無罪になることはないと確信している。 いや無罪にしてはいけないのだ。 ニューヨークタイムスとのインタビューでは、彼の功罪の功績の部分には 触れているが、罪の部分には触れていない。 ビジネスの世界では、信用というものが、かなり重要な要素になるのだが 彼は、このような答弁をしているようではこの信用というものがまったく得られないことに気がつかないのだろうか。 もし裁判で負ければ、個人的に損害賠償請求に応じなければいけないような 事態もでてくるので、自分に不利なことは言いたくないのだろが、 彼の言動のいいかげんさに失望したのは私だけではないだろう。 格差社会うんぬんというよりも、金もうけするなら、何をしてもいいのだ。 それのどこが悪いと言ってるとしか思えない。 こんな論理がまかり通るはずがない。 新自由主義、市場原理主義の導入のもと、規制緩和は進むのは結構だが、 個人主義のあまり、金もうけのためなら、どんなことでもやる、そういう 一面が見えるビジネスが、公正な投資市場のメカニズムをゆがめたことに 対する、司法の判断がどうなるか待たれる。 くわしいことは専門でないからわからないが、最近驚いたのは
サハリン2のプロジェクトの資本参加をロシアの国策会社ガスプロムが資本参加 50%することで合意ができたという話だ。 そもそもこの話、オランダのロイヤルダッチシェルと日本の三菱、三井の合弁事業で 成り立っていたところに、ロシア環境省が、開発は環境破壊の恐れがある として、認可をストップしたことである。 しかしそれが、結局政府系のガスプロムが50%の資本参加することで合意したという。 なんだかこの話は変だ。 つまり事業をストップさせたのは、環境保護というのは名目で、実際は 国策であるエネルギー政策を、ロシアの会社の資本参加なしに進めないなら、 事業を認可しないとしたようなものとしか思えない。 しかもわざわざプーチンがこの問題は解決したなどと声明を出している。 なんで民間の1プロジェクトに大国の大統領がわざわざ声明を出すのか? この話どうみても恫喝取引としか思えない。 なぜならプロジェクトが終わりに近くなって、いきなり許可を取り下げるといって脅す。 政府系企業に50%資本参加させる許可するというのだろう。 そうすることでロシアの国益を守るというのだろう。 しかしこれはあくまで民間の話で始まっているのでそこへ、 ロシア政府が介入してくるとは非常識きわまりない。 これがロシアの危ない点だ。 ロシアは銀行もまだ外資の進出を自由に認めていないし、 インフラもまだ整備されていないような経済的には発展 途上の国だが、WTOに加盟しようというのなら、ビジネスの常識をわきまえたうえで 主張してほしいものだ。 90年代の経済危機以来、ロシアから撤退する企業は増えた。 これは為替危機が原因だったが、今のロシアのビジネスリスクは契約不履行 リスクだ。 政府がこのようなビジネス慣習に反することをやっているようでは、 今後ロシアでビジネスをおこなうのは危険だといわざるをえない。 トヨタ自動車は、現地工場を作ることになるらしいが、はたして問題はないのだろうか。 これからの話だからなんともいえないが、どうもロシアのビジネスに関するかぎり 不愉快な話ばかり聞くのは、まだ未成熟な市場なからゆえか・ 関連記事 2007.1.7 サハリン2:欧州復興開発銀が融資撤回で最終調整 【ロンドン藤好陽太郎】ロシア・サハリン沖の石油・天然ガス開発計画「サハリン2」をめぐり、欧州復興開発銀行(EBRD、本部・ロンドン)は5日、予定していた融資を撤回する方向で最終調整に入った。 関係筋によると、EBRDは3億ドル(約350億円)を民間金融機関と協調融資する予定だったが、ロシアが強圧的な交渉手法で「サハリン2」の経営権を手に入れたことを受けて「融資は難しいし、必要性も薄い」と判断した。
最近話題になっているリトビネンコ事件というものの真相はまだわからない。
この事件の一番奇妙な点は、本人がビデオでプーチン大統領を名指しで非難している点だ。 たしかにリトビネンコ氏は元KGBの職員で、プーチン大統領は上司だった。 氏は現在の政府の政策に対して批判的であった。 というのもロシア政府は、チェチェン紛争に対しては、武力制圧、西側寄りの政策を 示すウクライナに対しては、エネルギー供給の制限といったような、圧力を加えていたという 事実がある。 また反体制的なマスメデイアは買収する、新興財閥はい一斉検挙するなどなどの政策 をとってきて、どうみても強権的としかいいようがない。 おりしも、プーチン政権の内部を告発レポートした、アンナ・ポリトフスカヤ記者が 暗殺され、リトビネンコ氏もポロニウムによる死だと発表された。 しかしこの事件なにか妙なのである。 いかに、非反政府的な人物が、プーチン批判をしたからといって、 わざわざ放射性物質を使ってまで、暗殺を指令するだろうか。 ポロニウムは政府関係者以外は入手することができないから、 旧KGBやFSBのメンバーがなんらかの関係があることは否定できない。 しかしそれイコールプーチンの弾圧と考えていいのか?? 数々の改革や経済成長をもたらし、国民の人気も圧倒的に高かった大統領が 任期をわずかに残した大統領が、反発分子を抑えるのに秘密警察を 使って暗殺を指令するというのは、あまりにも器量がない。 もし反政府的というだけなら、モスクワのエコーなどは放送停止になっていても おかしくない。反体制派のメデアはなくなってしまうはずだ。 ジャーナリストの暗殺が多いことは確かだが、これは むしろプーチンを追い落とすため、もしくはプーチン後の勢力拡大を狙った グループの陰謀ではないかと考えてしまうのである。 はっきりしていることは、現在のロシアでは、以前マフィアや政商などの 闇の世界の売人や旧KGBのメンバーの片割れが、暗躍してソビエトの 影をひきずっているということだ。 これは間違いない。ただあまり表に出ないことが多い。 リトビネンコ事件で妙なのは、ポロニウムがロンドン、モスクワのあちこち で英国航空の機内、さらには接触を持った、ルゴボイ氏までポロニウムが検出されたことだ。 これは何か裏があるとしか思えてならない。 ロシア国内のマスコミも政府系メデアはこの話題はあまり、取り上げていないが 独立系のメデアは連日報道合戦だ。 日本でもテレビ朝日の報道ステーションで、リトビネンコ氏の、父親に インタビューをしていたが、ここでは「これはプーチンの仕業だ」 といっていた。 しかしこれは本当に正しいのか?? 正しいならば、とんでもないことだが、 この報道が、世界中に流れただけでも、反プーチン体制にとっては 格好の宣伝材料になってしまう。 この点は非常に重要だ。 今日のTV朝日も、モスクワのアパート爆破事件は、プーチン政権の 自作自演ではないかという推論を立てていたが、それとアンナ・ポリトフスカヤ の殺人とを関連づける報道は、十分な裏付けになっているか? 答えは否である。あくまで推論でしかない。 ロシアいやソビエトでは昔から反政府への弾圧は、粛清、弾圧という歴史がある。 スターリン、ハンガリー動乱、チェコ事件、アフガニスタン侵攻、これらは あきらかに、民主主義的ではない。 旧KGBの活動も、反政府分子の抹殺などもその業務としておこなってきたことは 事実である。 では現在のFSBが反政府活動粛清のための秘密警察かというと、かならずしも そうではない。 国家保安のための諜報機関ではあるが、反体制抑制抹殺のための組織ではないのだ。 報道機関はあくまでも、中立でなければならない。 十分な証拠もないまま、ジャ-ナリスト暗殺=プ-チンの弾圧と断定 するのは危険だ。 この事件によってロシアのイメージはかなり、悪くなってしまったが、 われわれも表面的な情報に躍らせられないように、事実関係を 見守っていきたい。
日本の標準は即世界の標準なのか。
これは以前からもっていた疑問であるが、 最近特に思うようになった。 アテネオリンピックで野球が、絶対優勝するといわれていたにもかかわらず、 オーストラリアに負けてみたり、サッカーワールドカップで予選リーグ楽勝通過かなど といわれていたにもかかわらず、予選敗退、今年の柔道世界選手権では先日の世界 選手権では団体3位にも入れずという予想のはずれ。 それに昨日は、優勝確実といわれたヨーロッパ競馬はで日本のデープ、インパンクトが、 フランスで3位になるという予想外の展開。 しかしよく考えてみよう。 日本の競馬場の芝より、欧米の競馬場の芝は10cmくらい深い、しかも今回のロンシャン 競馬場は、最初数100メートル坂がある。日本の競馬場にはこのようなとろはない。 いくらデープインパクトが、優秀な馬であるといっても、日本で育ち、日本の調教師が 育て、日本の競馬場でしか走ったことがにものを、いきなり雰囲気のまったく異なる 競馬場へつれていって、勝てるのだろうか。 日本柔道が負けたのは、今回かなり日本柔道は研究されていて、返し技でポイントを とられたからだといわれている。 日本は技にこだわりすぎ、ポイントがとれなかった。 この大会で優勝したのは、グルジアであるが、グルジア柔道というのは、 技というより、ポイントをとりにいったり、ともかくかついでも投げるという力の 柔道なのだ。当然日本の柔道とはぜんぜん違う。 あるいみ別の格闘技にも見える。 アテネオリンピックでの野球の敗因は、相手チームの研究不足だったといわれている。 ただしWBCの大会で優勝ができたのは、試合のしくみにラッキーな点があったにせよ、 トーナメント制に合わせた、地道な試合展開をしていた日本の野球がアメリカ式ベースボール に勝った結果と適切な監督采配のたまものだったといわれている。 つまり何がいいたいかというと、デープインパクトは負けてしかるべきだったのだ。 日本でいくらトップであっても、かならずしも世界一ではないのだ。 以前やたら日本式経営、終身雇用、年功序列、事業部制システム、改善制度 などがもてはやされた時期があったが、その後衰退してしまった時期がある。 つまり日本の経営手法をそのまま海外進出先に持ち込んだだけの企業は、つぎつぎに撤退 を余儀なくされたのである。しかも日本有数のトップ企業がである。 日本の価値観をそのまま、海外にあてはめようとすると失敗する例のひとつだ。 ところ変われば品変わるではないが、何事も入念な研究と十分な経験をつみ相手を 入念に研究しないと、何事も海外では勝ちにいくことは、できないのではないか。
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