総理大臣菅直人を採点する
菅直人内閣総理大臣をサラリーマン的に人事評価査定したら、どうなるだろうか?
総理大臣の仕事はサラリーマンとは違う。しかし政府内閣という組織内で どう判断しどう行動すべきかという点では同じであろう。 では今回まず首相の優先すべきことは何だったのか。 それはまず、3月11日の東日本大震災による甚大な被害からの復興をすみやかにおこない、 原子炉事故を収束しそれよって生じた被災者や避難民を救済し、国民の安全につくすべく 首相としてのリーダーシップを発揮することである。 しかるにその進捗状況は進んでいただろうか? この答えにイエスと答えているのは総理自身だけだろう。 それこそ未曾有の原子炉事故であったために、政府も東電もパニックになったことは 事実だ。政府ならびに東電が一体で原子炉の冷却、冷温停止を目指したことは評価できる。 しかし、阪神大震災に比較しても、初動が遅い、瓦礫撤去がすすんでいないという声は多い。 しかも避難区域の設定や避難地域指定をめぐる対応の遅さは各方面で 批判をあびている。やたら会議ばかりたちあげたにもかかわらず、義援金の配分 は遅れ、仮設住宅は未完成では、政府の災害対策は不十分だといわれても 反論はできまい。 「やるべきことはやっている。国民に理解してもらえていない」 このコメントに私は、強い不快感を覚えた。 政治家は発言も重要だが、それにともなう行動と成果も重要だ。 まして今回のような震災では迅速な復興が望まれる。 私の印象は、どうも復興スピードもあることながら、自治体との連携が うまくとれていないのではないかという感がある。 もしちがうというなら、マスコミを利用して積極報道機関を通じアピールすべきだ。 しかし記者会見すらひらかないのに、国民が理解しないなどと言うのは はなはだ筋違いだ。 国民が理解していないというなら、もっと国民にアピールするために、 メッセージを発表うべきだ。しかるに菅氏のスタンスはどうだったか? 自分に都合のよいマスコミは歓迎するが、つまり自分に物申すようなマスコミは 排除しているとしか思えないスタンスがまるみえだ。 この点私がもっとも気になったのは、「脱原発宣言」の発表の方法である。 このような重要なビジョンを、諮問委員会や閣内の合議もなしに、個人の思い だけで、なぜいきなり記者会見をしたのか? 国民のみなさまに重要なおしらせがありますというから、何かと思えば これだ。このような宣言は国連総会か国際会議などで発表すべきもので わざわざ記者会見をすべきものではない。 これでは組織やTPOを全く無視した個人独裁宣言である。 いや単なるスタンドプレーである。 たしかに理念としては悪くない。しかしそれにより どういう具体的なプランを実行して、国の原子力政策を転換していくか 言う点までふみこまないと単なる自己宣伝でしかなくなってしまう。 リーダーというものはそのような点をすべて総合的に考察、判断、発表しなければ いけなかった。 彼のメッセージを発信して公衆へのアピールする能力は高くその方向性は正しいが、 その過程において十分議論がなされておらず、決定は独断的であり、実現可能性に疑問が残る 点が多い。 そういう意味では彼は国のリーダーの資格などまったくない。 さて私の評価である。 総理大臣としての評価) E 彼は民主党きっての論客である。しかしなぜそれがこのような評価になってしまうのか? それは与党の政治家としての業績評価だからだ。有言不実行ではだめなのだ。 ではもうすこし具体的にみていくことにしよう。 政策実行力: 東日本震災から5ヶ月後特例公債法案が可決。これでやっと瓦礫の撤去が公費 で可能なわけだ。なぜこれほど時間がかかるのか。 復興は果たして本人が言うように進んでいるのか? 関東大震災のとき、山本権兵衛内閣は震災手形、モラトリアムを発令したが、今回はそのような 特別救済措置すらとられていない。 政治主導をとなえるあまり、官僚や自治体軽視しすぎではなかったか? 危機管理対応能力: 東電の事故が発生したとき、みずから東電本社に掛け合い、東電に事故対応をうながした ことは評価できる。 しかしその後は、総理の存在感すらアピールできず、リーダーシップが疑問視された。 事故後の会見は、ほとんど官房長官の発表のみで、総理のコメントすら聞こえず、 その存在意義やリーダーシップ不在論まで取りざたされた。 尖閣列島問題では中国からの圧力に屈したかたちで、領海侵犯をおこない海上保安庁の 巡視船に体当たりした上船長を釈放させている。 しかもこれを沖縄地検の判断として政府の責任を回避している。 外交問題になることを避けたつもりであろうが、ここは日本政府は毅然とすべきだったのだ。 クサイものにはふたをの精神以外のなにものでもない。 外交力: これはまったく成果がないにひとしい。すべてにおいて「遺憾の意」の連発である。 具体的外交折衝、会談もなかった上、廊下でミーティングなんてこともあった。 これでは中国やロシアになめられてしまっても仕方がない。 APECでの温家宝首相との10分廊下会談だのアメリカバイデン副大統領との 40分ミーティングなどお話にならない。 日米交渉も進展はなく、沖縄基地移転問題も凍結のままである。きわめつけは中国の 首脳とメモをみながらの会談。いやはやみっともない。 情報発信力: 総理は日々のぶらさがり会見を拒否している。しかし一部週刊誌の独占インタビュー には応じている。これでは自分の都合のわるいマスコミは排除し、自分にとって都合のよい マスコミだけに取材をさせているととられる。非常に閉鎖的だ。 国民に脱原発宣言をおこなったが、あれはどういう意義があったのか。 具体性な内容にとぼしくどこに記者会見する必要性があったのか、しかも自分の内閣でも 内容を知らない人たちが続出とは・・・・。 調整力: 浜岡原発の停止要請発表は英断とも思えたが しかしこれは経済産業大臣の仕事を横取りしたようなものだ。 浜岡の現地視察は、経済産業大臣がおこなって、一時停止の決定をしようと したものを総理大臣がアナウンスしただけだ。 これが経済産業大臣の仕事か総理大臣の仕事かその点は議論のあるところだが、 その後現地従業員の雇用問題、代替エネルギーの確保の問題まで考慮されているとはいいがたい。 周辺自治体との調整すらなかった状態では思いつきといわれても仕方がない。 つまり意思決定プロセスがまるっきりめちゃくちゃなのだ。 こういう点はサラリーマン社会ではまるで評価されない。 仕事はチームでおこなうために、根回しといわないまでもマネージメント能力 に疑問を感じざるを得ない。 私は菅直人という政治家は、自己顕示意欲の非常に強い人物だとおもっている。 いや名誉欲の異常なまでに強い人物である。二世でもないし、官僚出身でもない そのコンプレックスのようなものをバネにして頂点をめざしたのだ。 こんな人物はいまだかつていない。 だからこそ、市民運動家から民主党代表、総理大臣にまでなれたと思っている。 その反面官僚や、サラリーマン経験がないために、独断専行型の政治をおこなう 面がある。こういう人間が政党の代表になれてしまうというのも不思議な世界だ。 日本的な意思決定過程や慣習を無視し、リーダーシップの意味をはきちがえている 総理大臣でしかない。 彼は総理大臣の地位にまちがいなくこだわっていた。 在任中はなんとしても歴史に残るような成果はなくとも、すぐにやめるような 二世総理たちのようではありたくはない。だからこそ異常なまでにその地位に執着した。 しかし沖縄の基地移転、北方領土問題など自分の専門外の問題にはほとんど関心がない。 TTP加盟が日本の農業にどういう影響を与えるなど考えずに自由貿易の 流れだと思っている、これからの産業は、林業、医療介護産業で一に雇用 二に雇用などとハローワークを視察していたこともあった。ハローワークの視察 で景気が回復するのか? 自民党時代にあった経済財政諮問会議のような会議などどこへやら、イギリス のまねをした国家戦略局など休眠状態であった。 にもかかわらず、国民は理解していないなどと、政府の無策を国民の せいにしている。尖閣問題のときもそうだが、政府の判断を沖縄地検の判断 だと人事のようにしている。具合の悪いことはすべて人のせいにしているのだ。 こういう人間に任期満了まで内閣を運営された国民はたまったものではない。 彼の政治手法で私がもっとも驚いたのは、内閣不信任案を出されそうになった時の 対応である。 総理大臣にとってもっとも、いやなものは、国会質問での追求ではない。 内閣不信任案の可決という事態だ。 野党の内閣不信任案に、民主党内でも同調の動きがあった。 そこで彼は、 「一定のめどがついた時点で、若い世代に道を譲る」と宣言 したのだ。これは内閣退陣ということではなく、単なる言葉のあや、 その場しのぎのいいのがれであったことは、2ヶ月近くも総理の座に執着したこと からも明らかだ。 ここで菅直人という人物は目的のためにはいかなる姑息な策でも使う マキャベリストであるということが国民の前にさらされたのである。 彼が総理の座にこだわったのには、理由がある。 それは在職中に、さしたる実績がまったくなかったからだ。 東電へ乗り込み原発を停止させた、復興予算を成立させたくらいでは 歴史にのこる総理にはなれない。 しかし国民をだまそうとしても、アメリカはそうはいかなかった。 すでに退陣宣言を出した総理大臣、しかも沖縄基地問題に具体的解決を 見いださない人間に、アメリカ大統領は会談要請「ノー」をつきつけたのだ。 おそらくこれが辞任の決定打だろう。 なぜなら直前まで訪米を模索していたらしいから。 最近わかった話だが、震災の後に、菅首相は会議をいくつもたちあげている。 ところが、そのうち10の会議で議事録がまったく作成されていないのだという。 これは、事故発生の問題処理の過程を検証していくうえで需要な資料であるはずだ。 今後のためにも、記録をとっておくべきだったにもかかわらず、 震災後、一年後にこのような事実が判明するとは驚きだ。 サラリーマンの社会なら、会議をしておいて会議録を配布しないなど考えられない。 こうしてみると、彼の総合評価はやはり E (努力不足、最低評価)でしかないのだ。 私の評価基準はあくまでも、サラリーマン的人事評価である。 サラリーマンは目標と実績で評価される人事評価というものがあるわけだが、 その基準からしても、どうしても本人がいくらどう「やるべきことはやった」 といってもこのくらいの評価しかしないのは私だけだろうか?
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